便失禁の診療ガイドライン

便失禁で困っている人は全国で500万人以上に上るともいわれています。 初の診療ガイドラインも登場し、”病気”として治療の普及を図る動きが始まっています。


■便失禁とはどんな病気?

「便失禁」とは、無意識のうちに、あるいは自分の意思に反して便が漏れてしまうという、排便コントロールの障害です。 ひどい下痢をしたときに我慢しきれずに便が漏れることは、普段健康な人でも起こりえます。 しかし、「トイレに駆け込んだが、間に合わなかった」「下着を汚してしまった」という経験は、自尊心を深く傷つけます。 排便の悩みは、生活の質にかかわる大きな問題です。特に日本では排泄に関する問題は個人の尊厳と結びついている側面が強く、 便失禁はまさに個人の尊厳を浸す問題になりかねません。 便失禁は決して稀なことではなく、特に高齢になると増えます。 日本でも、65歳以上の高齢者では、男性の8.7%、女性の6.6%にみられたという調査報告もあります。 便失禁に悩む人は全国に500万人以上いるとも考えられています。 困っている人は多いものの、これまで便失禁で医療機関を受診する人は稀でした。 「恥ずかしいから」と一人で悩みを抱え込んでいる人が多かったものと考えられます。 一方、医師の側も、最近まで病気という意識が薄く、対応する知識も十分とはいえませんでした。 しかし、2017年に日本初の診療ガイドラインも登場し、状況は変わり始めています。

私達が食べたものは、胃や小腸で消化・吸収されて、大腸(結腸、直腸)に入ります。 初めは液状ですが、大腸を通る間に水分が吸収されて固形状の便になっていき、最終的には直腸、・S字結腸付近に溜められます。 そして、ある程度の便が溜まると腸壁を刺激し、それが神経を介して脳に伝えられて、便意が生じます。 この時に腹圧をかけると、肛門を締めて出口を閉じている肛門括約筋が反射的に緩んで、排便が起こります。 この仕組みのどこかに不具合が生じ、うまく排便をコントロールできなくなると、便失禁が起こってしまいます。 便失禁が起こる原因で最も多いのは、加齢に伴う肛門括約筋の衰えです。 女性では、分娩時に肛門括約筋やその働きに関係する神経を傷めたことも大きな原因となります。 また、直腸癌や痔の手術で直腸や肛門が傷ついたことが原因になることもあります。 過敏性腸症候群などの便通異常に伴って失禁が起こることもあります。 なかには、便秘で直腸に硬い便が滞って自力で排出できなくなり、 下剤を使うと柔らかい便が漏れ出てしまうようなケースもあります。 多くの場合、単一の原因ではなく、いくつかの要因が重なって、便失禁が起こってきます。


■どう治療する?

便失禁の診断には、まず問診で、便の硬さや排便状況、失禁の程度、日常生活での支障などを把握するとともに、病歴や治療歴、使っている薬、 女性では出産歴・分娩時の状況などを聞きます。診察で肛門括約筋の機能を調べたり、大腸癌がないかを検査したりします。 便失禁の治療法は、「保存的療法」と「外科治療」に大きく分かれます。 保存的療法としては、食事・生活・排便習慣などの指導と、薬による治療が中心です。 そのほか、肛門括約筋を鍛える「骨盤底筋訓練」や、直腸の便を取り除く「逆行性洗腸法」などがあります。 外科治療としては、傷ついた肛門括約筋を修復したりする手術のほか、電気刺激装置を植え込んで行う「仙骨神経刺激療法」や、 人工肛門を作る「ストーマ療法」などがあります。


■便失禁診療ガイドラインのポイント

2017年に初めての便失禁の診療ガイドラインが発表されました。その冒頭では、日本でそれまで医学的な定義がなかった便失禁について、 下記のように定義されています。欧米では「ガス失禁(おなら)」も便失禁に含まれることがありますが、この定義では含めていません。

【便失禁の定義】
無意識または自分の意思に反して肛門から便が漏れる症状
無意識または自分の意識に反して肛門からガスが漏れる症状⇒ガス失禁
便失禁とガス失禁を併せて⇒肛門失禁


■ポイント①”恥ずかしいこと”でなく「治療できる病気」

これまで、大人の便失禁の診療を行っていたのは、一部の専門家に限られていました。 しかし、500万人にも上るといわれる患者さんに、専門医だけで対応するのは困難です。 そこで、広く一般の医師が便失禁の診療を行えるようにすることが、ガイドラインの大きな目的となっています。 そのため、このガイドラインでは、便失禁の診療を、一般の内科医や婦人科医などが行う「初期診療」と、専門医が行う「専門的治療」の2段階に分けています。 患者さんを最初に診る一般医が初期診療を行い、十分に改善しない場合に専門的診療に移るという流れになります。 便失禁を”恥ずかしい”と一人で悩む問題ではなく、治療して改善を図る「病気」なのだと考えて、まずは身近なかかりつけ医に相談してください。 治療では、現状よりもよりよい状態にして、社会生活の支障にならないことを目指します。 加齢に伴う問題を失くすことはできなくても、悪化を阻止するという考え方を持つことは大切です。


■ポイント②食事や日常生活の注意で、便漏れ状況は改善する

初期診療では、まず生活習慣の改善を図る指導が行われます。 便が柔らかいと漏れやすいので、食事に注意して軟便を改善することが症状の改善に役立ちます。 便の性状を整える働きをする食物繊維を積極的に摂り、 香辛料の多い食品や柑橘類、カフェイン、アルコールなどは控えるのがポイントです。 排便習慣では、便意を感じたら我慢しないでトイレに行くのが基本ですが、便失禁を防ぐためには、必要に応じて計画的な排便も勧められます 直腸に便が溜まっていなければ、失禁は起こらないので、寝る前や外出前などにあらかじめ排便を済ませておくのです。 それによって便失禁による社会生活への影響を少なくすることができます。 便失禁による皮膚炎の予防には、スキンケアも大切です。シャワーやトイレなどでサッと洗って、軽く水分を拭き取ります。


■ポイント③軟便や下痢を改善する薬が便漏れ予防にも有用

便失禁の患者さんの多くは軟便で、下痢傾向にあります。もともと便秘があり、下剤を使い続けて軟便になっている人も少なくありません。 下剤を使っている場合は、その調整が必要です。 便失禁に対する薬物療法としては、便の性状を整える薬や下痢を抑える薬などを使って、失禁を起こりにくくします。 ポリカルボフィルカルシウムは、腸内で水分を吸収して膨らむ性質があり、便を固形化したり、下痢を防いだりする働きがあります。 食物繊維と同様の作用による効果が期待できます。 ロペラミドは強力な下痢止めの薬で、下痢を抑えることで便失禁を起こりにくくします。 便が柔らかい患者さんには効果が高いのですが、使い過ぎると便秘になるので、患者さんごとに適切な量を見極めることが重要になります。 そのほか、下痢型の過敏性腸症候群のある人によく見られる 「切迫性便失禁(便意を感じてもトイレに行くのが間に合わず漏れてしまう)」には、ラモセトロンが有用です。 また、座薬や浣腸は、計画的な排便に役立ちます。


■ポイント④初期診療で改善しない場合は専門的な検査や治療法もある

便失禁の患者さんの多くは初期診療で症状の改善が期待できますが、十分に改善しない場合には、さらに専門的な検査や治療の方法があります。 検査では、「直腸肛門内圧・感覚検査」などを行って、肛門や直腸の閉まり具合や感覚、機能を調べ、その結果に応じて治療が検討されます。 専門的な治療にも保存的療法と外科的治療があり、まず行われるのが保存的療法です。 肛門を締める肛門括約筋の力を強化する「骨盤底筋訓練」などを行ったり、重症の場合は、専用の器具を使って失禁の原因となる腸内の便を洗い流す 「逆行性洗腸法」を行ったりします。 外科治療は、主に保存的療法で改善しない場合に勧められます。体内に装置を植え込んで、肛門や直腸の間隔や働きに関わる神経に電気刺激を送る 「仙骨神経刺激療法」は、便失禁の治療に対して健康保険が適用されるようになっています。


■治療はどう変わる

便失禁には多くの要因が関わっているため、治療はさまざまな診療科でそれぞれに行われてきました。 初のガイドラインができたことで、どの診療科でも、標準的な初期治療が行われるようになることが目指されています。 ただ、これまで便失禁の治療を行ってきていない医師が多いので、患者さんの側からも、かかりつけ医に「便失禁は治療できるそうですね。 実は困っているのですが・・・・・」などと働きかけるとよいでしょう。専門的治療については肛門科などで相談する方法もあります。


便失禁に対する治療の流れ